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年金ロボットをめざして

FX(外国為替証拠金取引)自動運用ロボットの開発ブログのはずだった

アインシュタインへの憧れ

ぼくは少年のころ、他の多くの科学少年とどうように、アインシュタインAlbert Einstein)に憧れた。そして、人間さえ進歩すれば、この宇宙のすべては計算可能であるはずという考えをもっていた。純粋な少年だったのだ。

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そうして、相対論の啓蒙書をいくつか読んだ。読むのはたのしかったがよく理解できなかった。それはぼくに数学的な基礎がないからだと考え、自転車で30分ほどかけて大きな川沿いにある地元の図書館に通った。

そこで微分幾何学の本を読んだ。ちなみにぼくは小学6年生になっても九九ができない落ちこぼれだった。中学1年生になるととくに理由もなく急に数学の成績がよくなった。そのころの話だ。

それから、数学の本を求めて図書館や書店を巡った。エリーカルタンÉlie Joseph Cartan)というフランスの数学者の微分形式について書いた本を見つけ長い時間立ち読みをした覚えがある。正確な理解などできなかったが、そういった形式的数学に心が躍り興味が強まったのだ。

やがて、前原昭二や竹内外史といった数学者の本を読むようになった。ロジックや基礎論、公理的集合論を学んでいたのだ。このころには本来の目的であった相対論のことはわすれてしまっていた。

いまになって思うと、相対論(1905年に特殊相対性理論が1916年に一般相対性理論が発表された)にはその導入部分から納得できない部分がある。アインシュタインが明治時代にもっていた光への直感は、現代からみればお粗末なものではなかったか。

だって、どう考えたって、光はガリレオの相対性原理などには従わないだろう。現代ではレーザー光線という形で光を実感することができる。一度光源から発射された光は光源の動きとは無関係に直進する。これが現代人であるぼくの光に対する直感なのだ。アインシュタインとは異なる直感だ。

これは、微分幾何学テンソル解析などを学ばなくてもわかることだ。そもそも理論を展開するまえの前提がおかしいのだ。その前提を検討するだけでよい。大切なことは、たとえどんなに強大な権威に対してであっても疑いをもつことを忘れるなということだ。

100年以上ものあいだ、この美しくも愚かな理論は信じられてきたし、これからもわが国の国立大学で教えられつづけることだろう。