ソロモンの鍵
昔々のことだが、ソロモンの鍵というファミコン用のゲームがあった。ぼくはこのゲームがとても好きだった。(といってもこれで遊んだ時間は長くはなかった)
ぼくがゲームを好きになったのは、もういい歳になってからだった。ぼくはなんでも人より遅いのだ。このゲームをやったのも少年のころではない。だからといって、それが、いつのころだったかは記憶がないのだ。
それに、このゲームが全部で何面だったかの記憶もない。ただ、あっという間に全面クリアできたことだけは覚えている。
ところで、あるとき、ぼくは妹と話をしていて、妹の長男の話になった。そのころ妹の長男はまだ東大生だったと思う。だから自信家で生意気だったろう。
その長男が、ぼくのことを尊敬しているといったというのだ。まぁ、嫌な話じゃないには決まっているが、そんなふうにいわれる覚えがないし、いったいどこを尊敬しているというのだ。心当たりがない。
ぼくは妹に、にやけながら、えっ、いったいなにを? と聞いた。で、その意味不明な尊敬話の答がソロモンの鍵だったのだ。ぼくは拍子抜けしてしまった。
なぜかは知らないが、妹の長男は、ぼくがソロモンの鍵をあっという間に全クリしたことを知っていたのだ。記憶はないが、ひょっとしたら長男の目の前で全クリしたのかもしれない。自慢してみせびらかしたのだろうか。
ぼくは当時すでにゲームをやる歳でもなかったし、それもあって、ゲームは自分一人でこっそり楽しむ質だったはずだ。まったく思い出せない。
それで、この一件でなにを思ったかというと、尊敬ということばは、こういうことに対して使うものではないということだ。昔、ホリエモンという人がいた(いまもいるか)。テレビを観ていたら、若者にインタビューをしていた。その若者はホリエモンを尊敬しているという。その理由は、お金をいっぱい稼いでいるからだという。
ぼくは、そんな理由でそんな人物を尊敬など到底できない。ホリエモンについては、むしろ軽蔑していたので、その若者のことばには、いくら人それぞれとはいえ、とてもがっかりした覚えがある。
もっと尊敬すべき人物はほかに数多くいるのに知らないのだろうか。それとも、お金があることや不必要に大きな家に住んでいることを尊敬するのだろうか。ああ、そうだ、なぜか、おかま芸能人に多いようだけど、大理石の玄関と巨大なシャンデリアの屋敷を自慢げに紹介するテレビ番組を何度も目にする。
断っておくが、ぼくはおかまに偏見はない。それどころか、人種や職業、収入、学歴、家柄などなにも問題にはしない。もし、差別している自分に気づいたとしたら死ぬほどはずかしいと思う。さて、ぼくは大金持ちであったとしても巨大な屋敷には住みたくないし、もし仮に住んでいたとしたら、申し訳ないという気持ちを常にもっていることだろう。はずかしくて、堂々と玄関から入ることができないかもしれない。
ここだけの話(ネットだよネット)、妹の長男は特別頭がよいわけではないだろう。だけど、努力して競争を勝ち抜いて東京大学に入ったわけで、そのなかである種の価値観ができたのかもしれない。ソロモンの鍵をクリアできただけの男などを、そんな理由で尊敬などせず、困っている人たちを助けるために人生を捧げたような人を尊敬してもらいたいと思うのだ。