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Geronimo & Passion

今日は土曜日。2本の DVD を観た。Geronimo(邦題:ジェロニモ)と The Passion of the Christ(邦題:パッション)の2本だ。

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すっかり堕落状態のぼくは、昼間からまずは Geronimo を観た。のこのこさんお勧めの映画だ。

ストーリーは淡々と進行するが、飽きるようなことはなく全編を楽しむことができた。ぼくは崇高な映画だと感じた。テーマはなんだろう。人間はいろんな選択で生きることができる。だから利益を重んじて要領よく生きる人が多いだろう。それでも、利益よりも誇りを重んじる人も少なくはないはずだ。

Geronimo はその誇りがテーマに思えた。また、少数民族の運命の無念さ、少数による正義の無力さ、それを静にではあるが、我々に叩き付けた。この映画は決して観る者をスカッとはさせてくれない。現実を見よ、しかし、ただ諦めるな、誇りを重んじよと静に語りかけているようだ。それでも、叩き付けられたように感じたのは、突き放されて救いがないように思えるからだ。それでも、Geronimo はいくつもの生き方を見せてくれる秀作だ。機会があれば観てみるとよいだろう。

さて、The Passion だ。

これを観終わったとき、ぼくは思わず「勘弁してくれよ」と吐いた。こんな映画を日本に紹介してなんになる。この DVD がレンタル・リリースされたとき、新しいものには大体は手をだすぼくだが、これは敢えてパスしていたのだ。今回は覚悟を決めて、さぁ、観てやろうじゃないかと構えたが間違いだった。メル・ギブソンの宗教心のパッションは認めるが、この映画はお勧めできない。

ぼくはこの映画を観て眼に涙が滲んだよ。作り物とわかっていてもズタズタになったイエスをマリアが涙を流して追っていけば、ぼくはこの映画に腹をたてながらも物理的にそうなった。しかし、テーマはただただ神様だ。それ以外の意味を見つけられない。

宗教の本質は独善だ。それでもいい。ぼくは宗教に真摯に向かっている人を侮辱するつもりはないし、むしろ敬意を持っているつもりだ。善良に宗教に向かう人々が悪いはずはない。そうだ、宗教が悪いことだなんて思いたくない。しかし、宗教は他者にそれを強制するという特性を持つ。宗教の歴史は争い・戦争の歴史でもある。事実をねじ曲げる力も持っている。

ガリレオ裁判が典型的な例になるだろう。現在でも宗教を強く信じるがゆえにダーウィンの進化論に反対する人々(あるいは宗教ビジネス家)が、進化論と対等な選択肢として、進化などではなく神が人間を作りあげたという授業を設けるようにと圧力をかけている始末だ。

話を戻そう。The Passion に限っていわせてもらえば、この映画は SAW(邦題:ソウ、ゲテモノ映画だ)よりもゲテモノだ。嫌悪感を持って観終わった。最後に、早送りをしたことを懺悔しよう。神よ許したまえ。