血液型(1)
血液型はとても役にたつ情報だ。
でも、そうね、最初に断っておくが、ぼくは、ティーンエイジャー向けの血液型本を読んで、ただ盲目にそれを信じてしまうようなヤワ(無知性)ではない。また、ぼくの血液型色眼鏡歴は30年を超えるだろう。それだけ多くの観察をおこなってきたのだ。筋金入りといえる。
血液型による性格判断に対しては、拒絶反応を示す人たちがいることは知っている。人間が4種類だけに分類できるはずがない!というものや、ABO式血液型は数多い血液型分類法の1つに過ぎないのになぜABO式なのだ!というようなものなどいくつもある。これについては、後ほど、ここでぼくが説明したいと思う。
また、いつだったか、テレビに出ていた何の専門家だったか、ある女史が、血液型性格判断に対して、科学的に証明されていないし、そういう事実はないと発言していた。この女史がもし科学者だとすれば、科学的直感に劣り有益な発見などできないタイプなのだろうとぼくは思った。
こんな人もいる。アマゾンの血液型本の書評に現れる人物で、非常に感情的に血液型なんて嘘っぱちだということを訴えている。A型はきれい好きばかりじゃないなどとも言っている。それについて言えば当然ぼくもそう思う。血液型を知るだけで、そんな決定的なことが言えるはずがない。
さて、人間が4種類に分類できるはずがない!(4種類の性格に分類できるはずがないという主張だと思う)についてだが、まず、人間は2種類に分類できて、それによって性格(もっと正確でよい言葉があるだろうがあえて性格と言おう)についてある程度判断できるし、これは実に有益な情報だ。
それは「性別」であり、人間はすべて男と女に分類できる。もし、これから仕事の打ち合わせがあり、その相手が女性だと事前にわかればそれは有益な情報となるだろう。もちろん、男だから女だからということだけで性格の多くがわかるわけではないが手掛かりはある。ABO式血液型(以下、単に ABO)もその程度だと思えば、目くじらを立てずに利用できるだろう。
女性だから悪人などといえるはずもないが、女性の悪人と男性の悪人では異なる共通の特徴があるはずだ。ABO もそうで、A型の悪人とB型の悪人では異なる共通の特徴が見いだせるのだ。ただそれだけのことなのだという出発点から入れば、抵抗もないだろうし、もっと役にたつ情報に到達することもできるだろう。
次に、なぜ ABO なのかということだ。これについては結果論的にぼくは捉えている。人間の分類には様々な方法が可能だ。性別もその一つだが、これが役にたつことは直感的にも明白だろう。それと同様に ABO は有益なのだ。RH+- も役にたつかもしれないが、知られていないし役に立たないかもしれない。実際役にたつからこそぼくは注目しているのだ。それ以外の理由はない。ぼくが合理的な人間で不合理なことをただ信じたいからという理由で信じることはできない。
さてさて、ようやく最初に戻るが、ABO は実に役にたつ。
しかし、具体的なことを言い出したらきりがないので、この場では、ぼくの好きな将棋の世界の話を少ししよう。 将棋を知らない、あるいは興味のない人は想像力を働かせてほしい。
羽生善治は最も有名な棋士(将棋を指してお金をもらう人/年収は億を超える)だ。ABO は AB(型も省略)である。ぼくは AB というだけの情報から羽生善治という棋士を予測してみた。まず基本的に終盤型(詰むか詰まないかに強い)だろうということだ。
この説明は難しいが、AB は基本的に競争に強くない(場合が多いなどの言葉は省く)。だから結果として AB の数(人口比率)は世界中どこでも少ない。それが将棋という戦い(競争)のトップに立っているのだ。特別優秀でないわけにはいかない。それは将棋の世界においては終盤力(最も必要な力)が尖っているということだ。実際に他の AB 型棋士を見てもわかることなのだ。米長邦男(AB)は終盤型の棋士だった。村山聖(AB)も同様だ。
将棋の世界は純粋な世界で、盤上以外でのドロドロとした人間関係は不要な世界だ。だから、より ABO による特徴が際立つとも言えるのだ。
ところで、将棋には戦法というものがある。大きくは居飛車と振り飛車に分けることができるが、そのなかでもまた多くの分類ができるほど戦法は数多くある。現代ではある事情があって、どんな戦法でも指す棋士が増えたが、その昔は特に ABO による戦法選択や戦い方の特徴があったのだ。
A(型)は戦い方の「型」を持っている棋士が多かった。居飛車しか指さない棋士が多かったが、振り飛車を指すと、振り飛車しか指さない。戦い方も決まっている棋士が多かったのだ。AB は、その特性として一般的に多くの選択肢を好む。食事においても B ならば、おかず一品だけで文句はいわない(場合が多い)が、AB は多くのおかずを望むだろう。将棋の戦法も AB は多くの種類を望み、結果として、どんな戦法でも指すことになる。
B は自分が気にいった勝ちやすい戦法を選ぶ。現在のように将棋の解明が進んでいなかった時代は、B はとても強かった。B は手探りの状態で最も力を発揮する。大山康晴(B)、中原誠(B)は将棋界の一時代を圧倒していた。
現代の将棋界は、O(型)の時代だと言える。羽生善治以降、将棋の解明が進んで、勝ち方を学ぶことができるようになったのだ。情報(定跡)をいち早く学び取り入れることが、勝ちやすい結果に至るという状況ができたのだ。その状況に向いているのが O というわけだ。
目標がハッキリしていて、それに向かう方法も用意されている。O が力を発揮する(有名どころでは渡辺明が O だ)。もちろん、それだけで決まるはずもなく、あくまでも有利な一定の量が存在するだろうというだけで、元々の基本的才能や努力がそれらの状況を覆すのも当然なことだ。
ぼくが書きたかったので話が棋士の世界になったが、ABO は世界全体を見ることにも役だつのだ。世界の地域ごとに ABO の分布が異なるが、日本全体としては、A(4)、O(3)、B(2)、AB(1)の比率のはずだ(最新の統計を知らない)。これを AOB(分布)と表すことにしよう。
日本: AOB
韓国: ABO
中国: OBA
米国: OAB
インド: BOA
イギリス: AOB
フランス: AOB
ドイツ: AOB
ただ順位だけではなく比率を示す必要があるとは思うが、ここでは順位だけに注目しよう。
アジアは B が多い傾向があるが、ご存じのように日本は A が多い国だ。アジアとしては珍しいと思う。ぼくは日本の 4/3/2/1 の比率は優れたものではないかと思うことがある。(ぼくにナショナリズムはない)日本人の物作りが拘りの物作りなことは周知だろうが、かつての西ドイツのゾーリンゲンやベンツを見て、日本と西ドイツの共通性が注目されたが、そのとき、ぼくは、日本と西ドイツの血液型分布に注目したものだ。
ぼくは、中国が暴れん坊なのは、O と B が勢力を持つことと関係があると見ている。また、インドは B が一番という珍しい国だ。その文化の深さ、規律の弱さなどは、それが原因だろうと見ている。
韓国の ABO も個性的だ。ここには示していないが AB が多いのも韓国の特徴なのだ。ただし、もともとどの国でも AB は少ないので大きな差ではないが、それでも AB が多い(11%)。世界で一番多いのではないだろうか。この ABO の特徴から韓国という国の一面を知ることができるのではないかと思っている。
ところで、自殺の多い国はどこだろう。ぼくのイメージでは寒い国、AB、A というキーワードが浮かぶ。調べてみると、一位が韓国(有名な話だと思う)で、日本も上位(5位?)にいるようだ。寒いというのは不正解なようだ。それよりも政情不安などが大きいようだ。
O は「生きる」というイメージが一番強い血液型で、AB はその正反対だ。だから数が少ないのも頷ける。また、見た目(外見)で最も判断しやすいのは AB だ。O が顔に油と汗を浮かべて競争している姿に対し、AB はその外見もカラッとしている。ぼくは外見だけで AB を当てたことが何度もある。
そんな AB だから人情論は通じにくい。あくまでも論理的な説得が必要だ。もし相手が B なら、とにかく人情に訴えれば何とかなるかもしれない。
ああ、そうだ、もう一つ書かなければならない。例えば、A と言った場合、普通は AO 型を指す。A には AB 同様少ないはずだが AA 型もあり、こちらには O 要素がないので、AB のようにサッパリした特徴があるはずだ。
ここに書いたことは、何かの本(血液型本など)を読んだ受け売りではない。ぼくが長年に渡り ABO という色眼鏡で人を見てきた結果と言える。でも、それは真実の色眼鏡だったと思う。
ABO は役に立つよ。
役にたつなら使えばよい。それだけだ。