プログラミング言語は宗教か
今日、なんとなくウェブ彷徨ってこんな記事を目にした。
①「なぜ国内でPerlが急速に萎んだのか」
http://anond.hatelabo.jp/20130307004741
②「僕もPerl入門書いている身なので反応しておこうと思います」
http://d.hatena.ne.jp/perlcodesample/20130307/1362637020
まぁ、これを読んで言いたいことはいろいろあるけど、あまり直接的なことを書くのは品がないからやめておこう。読んだ人がきっと正しく判断できると思う。
②の方、お疲れ様です。いつもどおり、これをムキになっているという人はいるものだけど、実に大人の方ですね。ぼくはといえば、Perl も Ruby もPython もどれも素晴らしいと思う。どの言語にも敬意を持っている。そのなかで最も敬意を示すべき言語は Perl だろう。(正確にいうと言語の開発チームやモジュールの開発者、普及に努めてきた人々、コミュニティなどへの敬意)
ぼくがこれらの言語を学んだのは、Python が最初で、次が Ruby、最後に Perl を学んだ。Perl が最後になったのは、Perl のことをよく知りもしないで Perl の表面的な印象から今更 Perl なんてという意識があったからだろう。
その後、最近になって最新の Python をもう一度改めて学んだ。この時点でようやく Ruby への未練は消えていた。ぼくは言語好きだから、Ruby に対してもそれなりの想いがあったのだ。
この3つからどれを選ぶかは、その人の事情と好みがあるわけで、選ばなかった言語を攻撃するなど愚かこの上ないことと思う。
ぼくの予想では、将来的には Python が標準的な地位をえることだろうと思う。だけど、これはぼくが Python を選んだからいうわけじゃない。ぼくが最終的に選んだ言語は Perl だ。
だれが書いても同じになる Python よりも、ぼくには自由な Perl がよかったというだけのこと。ぼくの Python への敬意に変わりはない。
たとえ、モダンな言語といえる Python や Ruby を選んだとしても、Perl のことを貶すのはやめたほうがよいだろう。なぜって? 底の浅さがわかってしまうからだ。ぼくは第一級の開発者ではない(12級くらいかな)が、第一級の開発者であれば決して Perl を貶すことなどできないからだ。
Perl は欠点もあるかもしれないがその凄さは並じゃない。その凄さは、入門書を眺めながら CGI を書いた程度じゃわからないはずだ。
そこんところ、気をつけたほうがよいだろう。
わざわざ自分は @@ ですという名札を付ける必要はないよね。:P
さて、ぼくは前から書いているが、宗教にまじめに取り組んでいる人には好意的だ。それが偽りだと思わないわけにはいかないけど、真摯な信仰には敬意を表したい。
ただし、宗教は争いの歴史ともいえ、「わたしの宗教は A ですが、あなたの宗教は B ですか、それは素晴らしい、けっこうなことです」とはならないのが、宗教の本質でもある。
もし、宗教が他者の宗教を完全に認めるものであれば、ぼくは二度と「偽り」ということばを使わないと約束してもよいと思う。..それは偽りだけどね。:P
さて、最後に改めて言いたい。
Perl はそんな簡単にバカにできるような言語じゃないよ。