年金ロボットをめざして

FX(外国為替証拠金取引)自動運用ロボットの開発ブログのはずだった

世界は悪であふれている

今日は長崎に原爆が投下された日。テレビを観たら、老女が「(世界中)みんな仲良く」と涙ながらに言っていた。典型的な善良なる日本の女性だろう。ぼくにもその老女の心境はよく理解できる。世界中の皆が仲良くできれば素晴らしいことだ。ただし、世界中の人々が無条件に仲良くできるなんてありえないこと。

それでも老女の願いには誰しもが賛同するだろう。でもね、老女には責任能力がないのである。老女は知的には弱者なのだ。でも、ぼくは知的弱者をバカにするつもりはない。善良に普通に生きることをぼくは尊いことだと思っている。

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次に長崎市長が出てきて、集団的自衛権についての心配と、いつものきれい事を述べていた。この市長の顔を眺めながら、本気なのだろうか、あるいは票のためだろうかと外見からの人物分析をしてみた。

この人、ぼくちゃんといった顔つきだ。うーん、こりゃどうやら本気なんじゃないだろうか。だとしたら、大の大人がね、信じられん。これこそ狂っている。

ぼくは心配なんだ。日本が三度目の核の被害に遭わないかがね。こんな状態じゃ、日本こそが世界の中で、現代における核被害国となる最有力候補なんじゃないだろうか。

確かに今の時代に核など使えるものだろうか、使う国がありうるのか!?特亜(支那南北朝鮮)には、その可能性があるかもしれない。実際、支那軍部の立場のある者が日本に核ミサイルを撃ち込むと表明しているじゃないか。

さて、特亜が核を使うのを躊躇うときはどういうときなのだろうか。核を使用すれば国際外交上立場が非常に悪くなる。もちろんそうだろうが、核を使うか使わないかの状況ではもうそんなことは気にしていられない。

特亜が核ミサイルを使うのを躊躇うとすれば、核を打ち返される心配があるときだけだろう。やつらは実に臆病なのだ。えっ、日本は米国の「核の傘」に守られてるじゃないかだって? そんな考え方が成り立つわけがないじゃないか! それこそ絶対ありえないことだろう。どういうおつむで考えたらそんな期待が持てるというのか。

さて、核を世界からなくすことを目指すことは、よいことだと思うよ。しかし、考えがそれしかないとしたらお粗末すぎる。そもそもね、核を持たない(持てない)国が、世界の核保有国から核を取りあげるなんてできるはずがないだろう。世界は各国の力関係で動いているのだ。核もない弱い国に世界を動かすことはできない。

日本人は善良な人が多い。だからこそ、お花畑になりやすいのだろう。ぼくも善良なることは大切なことだと思うよ。ぼくは善良な人々を愛する。しかし「世界は悪であふれている」んだ。平和を愛し、平和を望み、平和を叫べば、平和を保てる。そうだったらぼくもそうしたいが、現実は正反対と言ってもいい。

平和を愛し、平和を望み、平和を叫び、戦争から目を背ければ、それはむしろ、戦争を引き寄せてしまうのだ。「責任を伴わない平和主義」は侵略や戦争という悲惨な状況を生みだすのだ。自分だけが戦争を嫌いだと思っちゃいけない。ぼくもそうだし、誰もが皆戦争なんて嫌いなんだ。

どうしたら、その嫌いな戦争を避けられるのか。それを真剣に考えなければならない。世界は日本人のように善良でお花畑な人たちばかりじゃないんだ。世界は悪であふれている。誰もが現実を知り、誰もが平和に責任を持たなければならない。

きれい事しか言わない人間が戦争を引き寄せるのである。