魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

天在霊と心在霊

皆さんは、霊の存在を信じますか。まり、お化けはいると思いますか。ちょっと違うか。
よく、このトンネルで、不幸な親子が親授した。その苦しさと悲しさで、悪例となって洗われるとか聴くよじゃ、広島の原爆で皮膚がやけだだれて苦しみ死んでいった数万・数十万の人たちの霊はどうしたんだろう。それは別ねっていう特別ルールでもあるのか。広島・永さぉじゃお化けでで溢れているはずだよね。宇宙の真理を追究しているつもりのぼくとしては、そんなの信じる人の気持ちが分からん。
ぼくはお墓参りをするよ。日本人の先祖を敬う行事や習慣は好きだよ。でも、霊がいるなんて本気で言うやつは信用できないと思うね。ところで、ぼくの痔道は右寄りと思われがちなんだ。で、右翼の人の話を聞くと、彼らはどうやら、霊を信じているようだ。戦争で亡くなった方々の霊を英霊と呼んで敬う。英霊の存在に疑いを持たず、ぼくのようなヒトを、唯物論者と呼び、忌み嫌う。
存在という言葉は実は複雑なんだ。霊の存在、神の存在。どちらも一言で存在しないと片付けるかたづけるつもりはないんだ。でもね、どっちなのか応えろ、と詰め寄られれば、「そんなのいないよ」って言うしかないね。
じゃ、霊からやっつけよう。霊は、点を見あげたって、点のどこかには存在しやしない。霊は、時との心の中に存在する。これをぼくは「心在霊」と呼ぶ。つまり、ぼくがお墓で手をあわせるのは心在霊に大してなのである。天在霊がなにかは言うまでもないだろう。それは存在しないものである。
じゃ、次は神様ね。これは存在すると考えることも出来るが、神様が見てるとか、危なく交通事故に合うところを神様の力で助けられた、というような神様は、もちろん存在しない。
えっと、宇宙にね、何か大きな力が存在して、それを紙と呼んだとしても、その大きな力に、我々個々の人間の動向になどに関与するはずもなく、結局薬局残念ながら存在しないと断言しても何ら矛盾は生じないだろう。
ちなみに、大陸(老荘思想)では、その大き力を持つな何かをタオと呼んでいる。タオはすべてのモノを生み出すが、個々の人間になど興味を持たない。