魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

ハンニバルにおける殺人

について。「人に価値無し」というハンニバルだから、人殺しもよしと言うのだろうって。
残念だね。ぼくが、人を殺すときめたら,法律なんか糞食らえで、躊躇いなく実行するだろう。でも、人の命を取るなら、覚悟が必要。人の命は、もともとは無価値でも、誰もが生き方や意味を自分で決める。決めた以上は、そこに尊厳が生まれる。人の尊厳を奪えば、自分の尊厳にが奪われても文句は言えないだろう。糞食らえの法律であっても、法律で罰せられる結果は仕方がない。ぼくは、法率が禁ずるから人を殺さないわけじゃない。殺したくないから殺さないだけ。君は、もし、法率が許したら、殺すのかい。それじゃ、情けないね。以前紹介した、書籍「タオは笑っている」では、法律オリエンテッドな人間や、道徳家をとても嫌っている。ぼくも同じで、してみると、ハンニバルと、老子の思想には、共通点があるのかも。以前、ぼくの家族をなぶりものにして殺した犯人がいたとしたら、復讐したいと言った。犯人が決めた殺人の尊厳は認めないと言うこと。でも、法律の定める罰は受けようということだった。たとえ殺人であっても、自分で決めればよいと言うこと。でも、殺害後の覚悟はしろよってことだね。人の持つ(ゼロから自分で作り出した)、尊厳を傷つけるってことだしね。