魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

立派な生き方とは

最近、相棒をよく観る。今日も観ていたら、「立派な生き方」という言葉が出てきた。
自分の中で、そりゃなんじゃろ、となったのは言うまでもない。お気づきと思うが、そんなものはない。いったい誰が決めるんだ。えっ、神様だって。まじですか。自分で決めた生き方を尊厳というのであった。
人の生き方において、尊厳以上に大切なものはない。つまり、「生きたいように生きる」というのが、「立派な生き方」となる。こうやって見ると、「立派な生き方」という概念が、いかにくだらなく、無意味なものかということが、わかる。そもそも、このような言葉を発する人間は、偽善者であるか、バカ者であるか、どっちにせよ、ぼくの嫌いなタイプなのは確かだろう。ドラマの中の一言から、そこまで言うかね。引っかかったら、とことん追求したいのが、ぼくの悪いくせ。あれっ、杉下さんみたいだね。
ところで、ある宇宙飛行士が、「人の価値は、その人の努力の総量で決まる」と言った。
「人には、そもそも価値などない」というぼくの意見とは大違いだ。ぼくは、宇宙飛行士氏のこのような意見には、好意的なほうだと思うが、生まれつき、努力する才能に恵まれない人もいるだろう。これは、言葉を換えれば、「人間の価値は生まれつき決まっている」というのと同じではないか。宇宙氏は、そう言いたかったのか。だから、偽善というやつは嫌いさ。真理からは大外れだね。