自由の価値
人は、生まれながらに自由をふんだんに持っている。
これはちょうど、使い切れないほどの札束を抱えて、
生まれてきたくょうなもんだ。
それを人間は、生まれつき、札束の刑に処せられているとは、
思わないだろうが、ニーチェは、そう言うのだ。
札束をどう使うか決めることを、ハンニバルでは、尊厳化と呼んだ。
どう使うかは、その人の尊厳なのだ。
使い切れなくて困るって? 贅沢な悩みだね。
餓死するしかない人々に、全額寄付すりゃいいだろ。
もったいない? ジャ、半分寄付して、半分は女に貢ごう。
あー、スッキリした。
これが、札束の刑だと言うなら、大歓迎さ。
🐷自由の刑だ。
😹は、それも大歓迎だ。
😹はもう歳だが、今から独学で、哲学者に成ろうとしているんだ。
それに,非可換幾何学だって、学びたいと思っている。
ついでに、リーマン予想も研究してみたい。
勿論、解けるはずもないけどね。
自由(時間)は、幾らでも欲しい。
人が生まれつき自由(=無意味)で、本当に良かった。
不自由を選ぶことも自由だ。
例えば、神を信じ、神の教えを生涯を掛け普及するなど、
不自由を手にいれることは簡単なのだ。