魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

無意主義 - 太陽と月と神に背いて

この哲学は、数学のようにいくつかの原理(公理)から出発して、すべての哲学的疑問に答えられる体系を構築したものである。公理および推論は非常に明確であり、曖昧さもなく、これを理解し,応用しようとする者を胡麻かす必要もない。偽善に頼らない正義を追求することができる。さて、まずは、無意主義の、二大公理から述べよう。中学生かって。うん、ぼくもちょっと恥ずかしい。でも、行くぞ。
「無意味公理」=「人間、生きることに意味なし」
「無価値公理」=「人間に価値などない」
ああ、なんて背徳な主張だろう。えっ、こんな非人道的な公理は認めないって。だけどね、よく考えてみてくれ。元々、生きることに意味があるとしたら、人は、その意味のために生きなければならない。自由はない。意味がないからこそ、自分で生きる意味を決めてもいいんだ。人間の自由な生き方を保証する重要な原理と言える。またね、ちょっと前のこと、ある宇宙飛行して成功した人が、人間の価値は、その人の努力の量で決定すると言ったんだ、一見、二とそれぞれに努力を促す、立派な意見のように思うかもしれないが、ぼくはゆきをじょれを聴いたとき、ぞっとするものを感じたよ。努力ができるできないは、生まれつきのものが大きいだろう。ほかにも生まれつき、顔がいい、頭がいい、家が金持ち、とかね。すると、人間は、生まれつき価値が異なるってか。生まれつきブスに生まれた人間は価価値が低いと言うのか。貧乏に生まれたらもっと価値が低いとか。ぼくは認めない。人間に価値などない。だから、0=0、つまり、価値に差はない。二つ目の公理は、これもまた、人間の平等を保障する重要な原理である。これらが、無意主義の発想の原点と言える。そう、既に気づいた通り、無意主義は、人間の自由と平等を哲学的に保障しようとする思想なのだ。もちろん、個々の人間に完全な自由もなければ、平等とは言えない現実もある。しかし、だからと言って、哲学的にまで、不自由や不平等を是認しないということなのだ。科学的にも、人間が生きる意味はないのか。これはわかっている。人間の役割は、遺伝子を先に進めるためであり、人間は遺伝子の乗り物に過ぎない。じゃ、遺伝子はなぜ先に進みたいのだろう。これはぼくの考えだが、遺伝子が、自身の法則に手を伸ばした時、最もシンプルな目標をその手に握ったということだろうと思っている。
乱暴だが、ざっと、大筋を話した。続きは、またいつか。