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利己的な遺伝子

利己的な遺伝子(The Selfish Gene)。リチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)によるこの著作はぼくに大きな影響を与えた。

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ある程度知性を持つ者なら、人間が生きることに意味がないことはわかっていることだろう。Dawkins ではないが、Bacon(絵描きのほう)がこう語っている。まずはそれを取りあげてみよう。

『快楽主義的に成り行きまかせで生きている人間より、信仰をもち神に対して畏敬の念を抱いている人のほうが、たいていはずっと興味深いと思います。一方で、信仰をもって生きている人は、私に言わせれば完全に偽りの人生を送っているわけで、敬服すると同時に軽蔑せずにはいられません。でも、結局のところ、ある人物が興味をそそる人物になるのは、その人が何かに専心している場合だけで、宗教があれば、その人は少なくとも宗教に専心できるのですから、それはそれで意味のあることです。しかし、私が思うには、信仰は全然もっていなくても、まったく無意味なことに打ち込んでいる人がいれば、その人のほうが好奇心をそそるでしょう。』「肉への慈悲」(筑摩書房)より。

この箇所を読んで、ぼくは衝撃を受けた。言っていることは当たり前のことで、Bacon の考えは、ぼくの意識と完全に一致していた。しかし、ぼくはこのような表現を無意識のうちに控えていたのだ。というのは、ぼくは宗教に真摯に取り組んでいる人たちに敬意を持っているからだ。

ぼくの本心を Bacon があっさりと語ってくれたが、ここまで明言してしまっては、傷つくあるいは不快に感じる人がいるだろう。敬意を感じている人たちを傷つけていいのかという、中途半端な自意識にぼくは負けていたのだろう。

これを読んで、今更ながらだが、ぼくは正直でいいのかもしれないと感じることができたのだ。ぼくはもういい歳なので、こんなことに今気づいたということが衝撃だったのだ。内容自体は当たり前のことで、完全に一致していたことには少しだけ驚いた。

この Bacon の言葉を注意深く読めば、宗教は無意味に劣ると言っていると捉えることができる。でも、ハッキリそう言っているわけではない(またぼくは誤魔化そうとしている)。無神論が当たり前な日本でならともかく、信仰が当然の欧米においての発言であることにも驚く。

ところで、日本人は無神論であるといわれるが、正確には「消極的無神論」と言うべきだと思う。つまり、強い認識や信念からではなく「なんとなく神を信じない」というものだ。そのうえ、神社では手を合わせ、クリスマスにはお祭りだ。また、死者の霊を多くの日本人は信じているだろう。

まぁ、いい。話を「利己的な遺伝子」にしよう。

例によってこの本もこの関連本も今はぼくの手元にはない。しかし、この本の要点は簡潔なもので忘れようもない。生きていることに意味はない(この本でそうは言っていなかったと思う)が、遺伝子にとっては人間が生きていることには意味があるのだ。

なぜかはわからないが「遺伝子は先に進みたい」のだ。人間はそのための「乗り物」という意味を持つ。つまり、人間は遺伝子の乗り物にすぎないということなのだ。多分多くの人たちは、これを聞いて、そんなひどい話があるものかと思うかもしれない。しかし、意味がないことこそが人間への救いになっているのだとぼくは思うのだ。これは以前にも書いたね。

人というものは自分に都合のいいことを真実だと思いたがるが、真実は大抵は別のところにあるものだ。

遺伝子の身になって、生物界を眺めれば、多くのことがすんなりと説明できる。そのとき、遺伝子は実に自分に都合のよい振る舞いをすることに気づくのだ。遺伝子が実に利己的な存在だとすると生物の振る舞いの多くを説明できるということなのだ。

遺伝子は何が何でも先に進みたい。

それはきっと真理だろう。