魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

ハンニバル

映画のことじゃない。今後、このブログでハンニバルと言った場合、ハンニバリズム、すなわち、無意主義のこととする。映画のことは、「映画・ハンバル」という。なぜなら、今後、ハンニバリズムは、重用したいと思っているが、何々リズムという響きは個人的に好きではなく、ハンニバルと、縮約することにした次第。早速、ハンニバルは、単純で分かり易いうえ、大変役に立つ。例えば、「職業に貴賎なし」。このことは、中学生のころから確信していたが、他人には、どう、説明するのか。
ハンニバルでは、人が生きる意味は,元々は無いため、自分で決めてよいと教える。職業も自分で決めてよく、人の価値がないのだから、その無価値が行う職業に価値があるはずもなく、ゼロ=ゼロで、差はないと言える。ただし、哲学的に差は無いと言うだけで、経済的な差異は計算可能だ。ただし、それは、人もその職業も差別するものではない。ところで、ぼくは「偽善」というものが大嫌いだ。ハンニバルっは、偽善に頼らなくても、人の平等を説明できる、汚れなき哲学だとは言えまいか。しかし、ハンニバルの、純粋性は、物事を突き詰める覚悟がなければとうたつしずらいとは言える。確かに、「人間生きることに意味なし」と、言い切るには覚悟が必要。神をも恐れる思想だ。当然だ、ハンニバルは、完全に髪を否定する。しかし、信仰は否定しない。これは詭弁じゃないよ。こんなの、ハンニバルの精神を理解すれば、当然のこと。考えてみれば、すぐにわかる。「人に価値無し」を公理とするんだから、人種に価値の差がないのもしかりで、職業ごときに差があるわけはない。人で無しに思える公理(原理)から、導き出されるのは、以外にも、人の平等と自由を保障する思想なのだ。
ハンニバルは、理論物理学における、数学のように、この上なく役に立つものなのだ。
最後に、ハンニバルの公理を書いておこう
①「人間、生きることに意味なし」
②「人に価値無し」
「自との命は尊い」だから「堕胎は許されない」などと、偽善を言わなくても、これと同等の主張が、ハンニバルから導き出せるのだ。この詳しい説明は、いつか別の機会に。
じゃ、またね。