魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

努力の価値

人の価値は、その人の努力の総量で決まる。
と言った、日本人宇宙飛行士がいた。
でも、ぼくはそうは思わない。
人間には、そもそも、価値などないからだ。
こういう言い方は、偽善者大国の日本においちゃ、嫌われるだろう。

人間は、生まれつき不平等なのだ。努力できるのも才能で、
その才能に恵まれない人だっているんだ。すると、先の宇宙飛行士も言ったことは、
人間の価値は、生まれたときに決まっているとも言い直せる。
でも心配無用。人間に価値はない。即ち、ゼロ=ゼロなのだ。
だから,人間の価値に差は無い。
せめて、哲学的には、みな平等と言いたいじゃないか。
実社会においては間違いなく、人間は不平等だ。
だけど、そんなこと,気にする必用は無い。
人間に価値などないのだから。生きてる意味だって無いのだから。
生きている意味は、その人本人が決めること。
生きる意味を自身で決めることを、「尊厳」と呼ぶ。
だから、人間には、誰にだって、尊厳がある。
でも、生きてる意味は無いんだね。その通りだ。
もし、生きている意味があるとしたら、自分の意志とは、宇関係に、
その意味のために生きなきゃならない。自由は無いんだ。
でも安心あれ。意味は無いんだ。だから、意味は自分で作るんだ。
だれだって、活きる意味を自分で決められるんだ。
また、平等だ。なんだ、人間って平等だったんだね。
結論はちょっと偽善的だが、その過程に偽善は少しもない。
だって、人間に価値は無い、活きる意味もないって
ところが、スタートラインなんだぜ。嘘のない公理だ。

ぼくには、この哲学があるから、浮浪者だって、大手企業の社長だって
心の中では扱いに違いはない。ちょっと前、十代の若者が、
社会の役にも立たず生きているホームレスを集団襲ったというニュースで賑わった。
卑怯者め。偽善を教えるからだ。若者たちは,噓だとわかっているんだ。
前出の、宇宙飛行士氏は、人生の成功者だ。成功者らしい意見だ。
でも安心していい。成功。失敗は、他人の決めることじゃない。
生きる意味も自分できめ、成功失敗も自分で決めることなのだ。
人間に元々は意味も価値もないのだから。