魔術師をめざして

魔術師を目指して、相場・数学・プログラム言語を研究しています。

本質哲学と実存哲学

哲学は、この2つに分類されるとのことだ。
旧来からよく知られる哲学は、本質哲学。
これが本流だ。事物の本質を研究し、追求する。

サルトルニーチェの哲学は、実存哲学。
ハンニバルも、実存哲学に分類されるだろう。
道理で、実存主義に似ているはずだ。
勿論、似てはいるが、同じではない。
しかも、重大な部分が異なる。
ハンニバルからは、人間に生きる意味が無いことが導かれる
(というより基本原理と言えるが)が、実存主義からも導かれるのだ。

一方、中野信子氏による脳科学の解説で、実は、
人間に生きる意味は無いんです。との発言に、
ラジオ(テレビ?)スタジオには、一斉に悲鳴のような声が。

脳科学から言えるのか、東大でサルトルを学んだのか?
不明だが、そんな発言をマスメディアでできる時代になったとは言えるね。

人間に生きる意味を押し付けようとするのが、本質哲学なのだ。
実存主義も、ハンニバルも、実存は、本質に先んじると考える。
意味を持たずに生まれてきた人間が、自ら、生きる意味を定めることを、
実存主義では、投機と言う。ハンニバルでは、尊厳と言う。
また、ハンニバルでは、尊厳を人間に最も大切なものと
位置付ける。

尊厳は人間が自由だからこそ、生まれる。だから、
自由は、人間の尊厳そのものだと言ってもよい。

一方、キリスト教では、人間の自由は無い。
生まれた時から、神の奴隷なのだ。
ドーキンスによれば、神は妄想なのだから、
人間とは、妄想の奴隷だと言える。

更に、ハンニバルは、人間に価値は無いと言う。
これは、人間の哲学的平等を保障するためのものだ。
現実世界には人間の平等なんてものは何処にもない。

多分、今後の勉強で、サルトルからもニーチェからも、
人間に価値無しの主張は、出てこないことだろう。

ニーチェニヒリズムもそこまでは言わないはずだ。