人間は自由の刑に処せられている
サルトルによるとこうなる。
ハンニバルと似ているようだが、本質的に異なる。
確かに人間は自由だが、それを決めるのは、その個人そのものであり、
個人は、どのような不自由を選ぶこともできる。
例えば、好きな神を選び、信仰と言う不自由を選ぶのも自由だ。
だから、何者からの刑も受けていないのだ。
両者の本質的な違いが理解できましたか?
実存主義を、自由と希望の哲学と言うそうだ。
それを真似れば、ハンニバルは、自由と勇気の哲学、
だと言える。
また、実存主義はヒューマニズムだとも言うそうだ。
驚いたことに、ハンニバルの初期には、ハンニバルは、
ヒューマニズムなんだと言っていた。それは、生きることの無意味や、
人に価値無しなど、という主張が重要な原理であるなど、
人間無視の哲学と、勘違いされがちだから、そう言う必要があった。
しかし、ハンニバルほど、自由と平等を唄う哲学は他に無いのだ。
ハンニバルは、自由と平等それに勇気の哲学なのだ。