実存主義とハンニバル
サルトルの研究を続けている。前にも書いたが、
驚いたことに、実存主義は、ハンニバルに似ている。
ずっと前に学んだときには、気づかなかった。
恐らく、実存主義の現象学的側面に、とらわれ過ぎていたのだろう。
特に、人間の自由に対する見方は共通だ。ただし、
両者の重要な本質には違いがある。
実存主義では、自由を人間に与えられた、刑罰の様に捉える。
そんな馬鹿な!自由は、人間の栄光なんだ。何者から与えられたものじゃない。
ましてや、刑罰とは、なんてこった。
ハンニバルは自由を肯定的に見る。実存主義では、苦しみのように見る。
今のところ、実存主義とハンニバルは、
実用上、似ている面も多いが、本質は、非なるものと言えそうだ。
以外にも、ハンニバルの方が、人間に肯定的なのだ。
🐷生きることに意味なしとか人間に価値無しとか、
言うのにか?
実存主義 →自由→苦しみ→自由と苦しみの哲学
ハンニバル→自由→喜び →自由と喜びの哲学
実存主義では、生きる意味を持たず生まれてきた人間が、
自ら、生きる意味を決めることを「投機」と言う。
一方、ハンニバルでは「尊厳」と言う。
嘔吐
サルトルによる古い小説だ。その新訳が、明日、発売になる。
😹は、初めて読んでみようと思っている。
👪さんもいかが。
サルトルは、哲学者であり、小説家であり、戯曲作家でもあった。
サルトルの小説と言えば、若い頃読んだものに、
畑の大根を引き抜いた瞬間に実存を感じたという記述があって、
そのことが何十年もの間、記憶に刻まれている。
何の本だったか不明だ。また、正確な意味も分かっておらず、
洞察もしていないまだだが。
😹は、これを「サルトルの大根」と命名してきた。
😹が20代の記憶だ。
10代の頃は哲学への興味は無く、微分幾何学の本など読んでいた。
本を買うお金も無いので、自宅から自転車に乗って、長良橋を渡り、
金華山にある、大きな、県立図書館に通っていた。
その時は、特殊相対性理論を理解するために、微分幾何学を覚えようとしていたのだ。
😹が16歳か17歳の時のことだ。
実存主義とハンニバル
新たな気持ちで、実存主義を学び直している。
理解力が増したのか、以前の理解をlぺて、新しい発見がある。
人間 は みずから つくる ところ の もの 以外 の 何もの でも ない」。
これ が「 実存主義 の 第一 原理」である。
という箇所を読んで驚いた。
これは、ハンニバルそのもので、ハンニバルの最も重要な点なんだ。
実存主義では、実存が本質に、先んじると考えるのだ。
前回書いたように、実存主義とハンニバルは、本質的に異なる箇所があるが、
今回示したように、重要な一致点もあるのだ。
実存主義を、15年程前に学んだときは、😹には、
まだ、ハンニバルは無かったのだ。一致点など、見つけようもなかったのだ。
それに、当時、サルトルと同時に、ハイデッカーに取り組んだことが、寧ろ、マイナスだったようだ。
今もう一度、ハイデッカーにも、取り組み必要があるだろう。
新たな気持ちで、「存在と時間」を読もうとしている。
それに、哲学全般の勉強もし直そうとしている。
ハンニバルの体系化のためだ。
また進展があれば書きたい。
許せ、とりあえず、メモしたかったんだ。
人間は自由の刑に処せられている
サルトルによるとこうなる。
ハンニバルと似ているようだが、本質的に異なる。
確かに人間は自由だが、それを決めるのは、その個人そのものであり、
個人は、どのような不自由を選ぶこともできる。
例えば、好きな神を選び、信仰と言う不自由を選ぶのも自由だ。
だから、何者からの刑も受けていないのだ。
両者の本質的な違いが理解できましたか?
実存主義を、自由と希望の哲学と言うそうだ。
それを真似れば、ハンニバルは、自由と勇気の哲学、
だと言える。
また、実存主義はヒューマニズムだとも言うそうだ。
驚いたことに、ハンニバルの初期には、ハンニバルは、
ヒューマニズムなんだと言っていた。それは、生きることの無意味や、
人に価値無しなど、という主張が重要な原理であるなど、
人間無視の哲学と、勘違いされがちだから、そう言う必要があった。
しかし、ハンニバルほど、自由と平等を唄う哲学は他に無いのだ。
ハンニバルは、自由と平等それに勇気の哲学なのだ。
神の言葉①
汝、人を裁いてはならない。
それは俺様の独占的権利だから。
神よ、この者の罪を許したまえ。
元々、無いものだから、いいだろ
それに、俺の商売なんだよ。邪魔すな(by 神父)。
人は生まれつき、罪人だそうだ。
アダムの罪をすべての人類が背負っているのだと。
禁断の木の実(りんご)を食べたからだって。
正気とは思えん。
🐷お前、教会に殺されるぞ。
まじで、18世紀だったら、火あぶりだったろうね。
本当の罪人は、神の仮面をかぶって、ありもしない罪を、
かぶせたり、許したりしている、お偉い詐欺師様じゃないのか。
🐷お前、地獄行決定だな。
😹引き受けた。
考えてみると、人類すべてを罪人として、
その免責権利を商売にする手口は、NHKと同じだね。
クローザー
アメリカのドラマだ。面白いのは、24ばかりじゃない。
クリミナルマインド、メンタリスト、それに、この
クローザーだ。The Closer、主人公の女刑事(ジョンソン)が、
出てこれば、事件は解決。眞に、クローザーだ。
ジョンソンは本部長代理。部下たちがいる。
😹が好きなのは、皮肉屋のフリン警部補。
老警部のプロベンザとのコンビときたら最高。
残念だが、プライム会員も有料だ。1話250円~127円ほどだ。
😹は全話のDVDを持っているが、直ぐには見つからない。
で、お金を払って、プライムで観ている。
🐷経済観念がしっかりしてるね。
😹よく言われる。
最後に一言、ジョンソンについて:
😹に嫌いな、偽善的特徴を持った人物(設定)だ。
制作側も自覚しているようで、ジョンソンの婚約相手に、それを言わせている。「少しは自分に正直になったらどうか」ってね。😹のように気になる人は少ないだsろう。
ただし、人情には厚い。だから、鼻につくが、(人格設定を)許して観てる。
コンタクト
予定より早く観た。
とても、エキサイティングな映画だった。
😹を動かすだけの力を持った映画だ。
ハンニバルは、人間を解明する哲学だが、
宇宙についても、解明したくなった。
宇宙は何のために生まれたのか、何のために存在するのかなどだ。
そのために、宇宙論にも手を伸ばす。まずは科学的理解が必要だ。
そのうえで、宇宙の、哲学的思索に挑む。
映画「コンタクト」は、😹をその気にさせた。
ところで、コンタクトは、宇宙人とのコンタクトに
熱意を持つ科学者が主役だが、一般的な考え方として、
自分たちが、特別ではないということだ。これを
「one of them」の原則と言う。
当然、oneはthemの一部に過ぎない。
従って、宇宙人がいるのは、当然のこと。
しかし、宇宙人と我々は、接触できないだろう。
宇宙に点(知的生物)が一つではないのは確実だが、
宇宙は、十分すぎるほど大きく、大きさを持たない点と点が交わることは無いのだ。
従って、実質的に、宇宙人はいないと言ってもいい。
「いるけどいないの」なのだ。カルピスのCMを思い出せ。
これは、同時(同じ時間軸)には、存在できないのかもしれない
ということ。遥かなる、距離と時間の問題が克服できたとすれば、
宇宙人に会えるかもしれないが、計算をすればするほど、宇宙人には会えないことが分かるだろう。
つまり、この意味で、宇宙人は存在しないと言えるのだ。
もう一度、one of them で考えれば、宇宙だって、1つじゃないはずだ。
きっと、宇宙は、泡のように、無数に湧き出しているに違いない。
そして消え去っているのだろう。湧き出すことに理由などきっと、無いだろう。
これが、😹の直感だが、今後、もう少し、精密に追いかけたい。
オッカムの剃刀
何事かの理由を考えるとき、大抵、最もシンプルな説明が、
正解なのである、という法則のことを言う。
個の拡張とも言えるのが、ハンニバルの剃刀だ。
選択肢の中に「無」があるなら、大抵、「無」の選択が正解である。
遺伝子が先に進むと言う目的を選んだのも、オッカムノカミソリにより、
それが、最もシンプルなものだからだと言える。
人間の生きる意味は、a、b、c~z、無し。と選択肢があれば、
ハンニバルの剃刀により、無しが正解となる。
なお、ハンニバルの基本原理は次の2つだ。
①人間の生きる意味は無い(だから自由)。
②人間の価値は(皆等しく)無い(ゼロ)。
上の①②は、生物は遺伝子の乗り物に過ぎない。
に匹敵するほど罰当りな感じだが、
これが、人の哲学的自由や哲学的平等を保障する。